2008/10/30

続 faviconが表示されない

2008/10/24 faviconが表示されない問題、進展あり。同士を発見。
デザインの現場から徒然日記
bloggerの仕様変更っぽい。なんだかなぁ。

ライフハック - 怒る前にちょっと待とう

画像はWikimedia Commonsから。

ライフハック第3弾。
怒る前にちょっと待とう
怒ったら何がどうなるか考えよう。
何かをぶちまけた後片付けをするのは自分だ。物理的にも精神的にも。
怒りたくなったら、10数えるとか、それでもだめな場合は100数えるとか。100数えるのを通り越して例えば1万まで数えようとすると、その間に苛ついてまた怒りたくなるので注意、注意。
と言いつつ、私の場合、数なんか数えていない。怒りたくなると(怒っている最中でも)別の自分が怒ったらどうなるか考えるよう促してくれる。過去の経験から怒ってもいいことはないことを学んでいるのと、怒りは自己中心的だと自己制御が働くためか。

でも、怒るときもあるけどね(仕事とか子どもとか)。

2008/10/26

ライフハック -  怒るな叱ろう

画像はWikimedia Commonsから。

ライフハック第2弾。
怒るな叱ろう
その叱責が自分の感情の爆発ではないか自問しよう。
感情の爆発は自己中心的であり、対話の道を閉ざしてしまう。
教育のためにであるなら目的は、怒る、ではなく、叱る、であることをわすれないように。
言うのは簡単なんだが…
子育ては子どもの成長のためというより自分の成長のためと思う今日この頃。
(ほっといても子は育つが親は意識しないと育たない)
また、叱る心構えであれば他人の子どもにも容易に注意できる。

2008/10/24

faviconが表示されない

おや? 今朝から自作のfaviconが表示されないようだ。
違う環境でもチェックしてみることにする。

追記(2008/10/24深夜)
違う環境(ISP、OS、ブラウザ)でもNG。

追記(2008/10/26深夜)
他のBloggerでは表示できているようなので、
どうも私のところだけのようだ。
ちなみにこのblogのfaviconは2008/3には設置、順調に表示されていたのだが…。

2008/10/23

ライフハック - 作業にかかる時間もないのか自問しよう

画像はWikimedia Commonsから。

日々の生活を快適に過ごすための自分で気づいているハック集(これからときどき書こうと思う)。
ただし、ここに書くのは後天的に会得したもののうち未だに意識しているもの。
体の中に完全に同化したものは「無くて七癖」(誤用)で、すでに自分では気づかないと思う。

今回が記念すべき第1弾(特に記念すべきでもないが)。
作業にかかる時間もないのか自問しよう
清掃や整理整頓にどのくらいの時間が必要か見当をつけよう。
目の前に清掃、整理整頓すべきものを発見したとき、0分~15分程度の時間もないほど忙しいのか、私は?と問いかけてみよう。
きっと、その程度の時間ならなんとかなる。
何かをしないための言い訳は時間だけの問題ではないことに気がつくことが肝要。
5分~15分以上もかかると判断した場合は、それでもできる範囲でとっかかってみよう。

2008/10/22

1号、2号、3号へ変更

画像はWikimedeia Commonsから。

これまで子供らのことを第1子(♂8才)、第2子(♀4才)、第3子(♀0才)と書いてきたが、これからは、1号(♂8才)、2号(♀4才)、3号(♀0才)と書くことにした。
堅い感じがしていたのと字数の節約になるし、何となくロケットのようで勢いがあってよい感じがしたので。
船のようにナントカ丸でも面白いかも知れない。
( )内は属性として継続して併記する。

もうイクラ何でもタラコでも4号は無いと思うので、桁上がりを心配する必要もない。
ちなみに、1号さん、というように「さん」付けにすると、2号は意味が違ってくる。

2008/9/30のポストから鮭のように遡って変更した。

2008/10/20

ヤンバルの、エコなカフェと。

画像はWikimedia Commonsからヤンバルの森。元の写真は沖縄発!役に立たない写真集にある。沖縄を面白い視点から描写していてとてもユニークだ。

先週、1号(♂8才)の秋休みに合わせ、遅い夏休みをとって家族旅行でヤンバルに1泊した。その帰り道、わざわざ遠回りして東京時代の友人が居着いているというヤンバルの更に森の奥に構えたカフェに行ってきた。
そのカフェは、ヤンバルの山中、ホントに山奥で、車で行ったからいいものの、徒歩では一般道から推測20分、その道すがら人家はない。
カフェに到着すると、まず、2号(♀4才)の訴えを聞き入れて、離れにあるトイレに連れて行く。トイレットペーパーは水に流さないで備え付けの大きな籠に入れてください、と書いてある。浄化槽の問題かな。
トイレの用を済ませ、店内と思わしき建物に入る。私のすてきな奥様は3号(♀0才)がベビーシートで眠っているので車で留守番。先客は幼子を連れた3人家族一組だけ。後からカップル2組と男性1名が来る。平日だというのに結構多い。
季節的にも暑くもなく寒くもなくオープンテラスで佇むもよし、店内で手作りのインテリアを眺めるもよし。エアコンはない。
子供らの主張に沿って店内に席を陣取る。
席に着くと人数分のお冷やを頂くが早速第2子がこぼしてしまう。ああ、もったいない、と頭はエコモード。
カフェと言うだけあって、メニューが用意されていて、でもコーヒーは頼まずに、昼食にと無添加オリジナルのパンとピザを頼む。
しばらくしてサーブされたパンもピザも石窯で焼いたと思われるもので大変美味しい。ピザなんか熱さが違う。アツアツ。
水も柔らかく那覇よりも確かにうまい。
10年以上ぶりに友人にも会えたし、良いことずくめ。

子供らと取り合いをしつつパンとピザをほおばりながら、しかし、店の売りは周囲の自然とエコなスタイルだよね、でもカフェだよね、と思った。
商売である。
来るか来ないか分からない客の事を考えると、保存のための冷蔵庫、冷凍庫も必須でありそのためには安定した電気が必要だ。実際そこだけはちゃんとした業務用のものが設置してあった。衛生管理上、水道も必要になる。
元々森の少々切り開かれた空き地に店を構えたようだが。客が来れば車の重みで道は踏み固められ、植物は生えなくなる。

ヤンバルの自然も経済活動の中で消費されるカフェの商品の一部に過ぎない、という見方も出来る。
自然保護とエコの最大の敵は人間であり、人間の経済活動であると考えているので、何か矛盾を感じる。
生きている自然には何もしないのが一番で、破壊された自然に手を差し出すのは二番目だ。

そういう矛盾を感じつつも、だからといってその矛盾を声高に叫んだりはせずに、子供らとパンとピザを味わったり川のせせらぎや森に響く鳥の声に耳を澄ませたりと俗世間の楽しみで満足して、きっと鳥の数なんかより人が多く住む那覇へ戻ってきた。

はてさて、矛盾を感じている私に一体何が出来るのだろう、と考え続ける。
どうすべきかの答えは実は見つけているのだが、これでいいのだろうか。

2008/10/10

ちょっと変わった子守歌の深謀遠慮

画像はWikimedia Commonsから。

3号(♀0才)を時々抱っこであやして上げることがあるのだが、そのとき口から出てくる歌のうちの一つが、自分でも意外な歌でびっくり。いわゆる子守歌ではない。でも歌っているとしっくりくる。
「熊本節」または「出征出船の唄」とも言う。
入隊しなければならない夫とそれを見送る妻との夫婦別れの唄。題名からは戦争賛美のように思えるが、決してそうではなく、逆に、戦争によって引き裂かれる夫婦の哀しさを表している。
「ちらし」という「セット」で歌われることが多い「軍人節」も同様。軍人節、熊本節は共に普久原朝喜の作。出征出船の唄と呼ばれるいきさつは「アイ加奈思い」さんのサイトが詳しい。ちょっと引用してみる。
この唄の初出時(昭和8年吹込)の経緯について、上原直彦さんの文章を転載させていただきます。
「「軍人節」を創作した普久原氏が検閲を受けたとき、担当係官は「琉球の民謡フゼイに大日本帝国軍人の尊称を節名とするとは何ごとか!」と、内容を知ろうともせず一蹴してしまった。つまり、日本国民でありながら、「ニッポン人の資格」を得られなかった沖縄人には、表現の自由、いや、歌うことの自由さえなかったのである。
 しかし、普久原氏は歌うことをやめなかった。
「軍人」という言葉がタイトルとして認められないのなら、どうせ中身は、相手には判らない。日本帝国軍人係官が好みそうな節名をつけてやろうと考え、問題の「軍人節」を「出征兵士を送る歌」と改題、連作の「熊本節」を合せて「入営出船の港」として申請したところ、「よしよし、オキナワもんもようやくニッポ ン人になったか、御国のために尽力するように」と激励さえ受けて許可されたのである。」[「島うたの周辺 ふるさとばんざい」P85]
蛇足ですが、沖縄から出征した人たちは3年間、熊本の第六師団に配属されたそうです。それで熊本節。
ここでは二つの曲を合わせて「入営出船の港」となっている。
熊本節の歌詞と意味は、たるー(せきひろし)さんのサイトが詳しい。
たるー(せきひろし)さんは気軽には歌えないらしいが、それは人前で歌うことが前提になっていて、かつ、本人が沖縄出身者でないことを意識(遠慮)してるからではないだろうか。
とはいえ、たるー(せきひろし)さんのサイトは沖縄の唄を知りたい者にとって、とてもとても役に立つ。

熊本節以外には「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」を歌う。これは今の住まいが首里なのでかなり意識して歌っている。首里赤田町では「弥勒迎け(みるくうんけー)」が行われ、毎年旧暦の7月15日の近くの日曜日に行われていて、毎年子ども達と一緒に追いかけている(赤田町に住んでいるわけではないのだが)。

子守歌としての熊本節は、0才のこの子に歌詞なんか分かるはずもなく、大きくなってからだってメロディーさえ覚えていないかもしれない。ただ仮にこの子が成人した後、熊本節がこの子の耳をかすめたとき、そのメロディが奥に眠っている記憶をつついて蘇り、その歌に興味を持ち、探し出して歌詞を知り、そして、この歌の背景を想像することができたなら、歌を自由に歌える時代に生きていることを理解できたなら、親としては本望だ。

だから私はその子を抱いているときに熊本節を子守歌として易々と口ずさむのである。

2008/10/06

家路を辿りながら、こう考えた。

画像はWikimedia Commonsから。

家路を辿りながら、こう考えた。
上を見ればきりがない。下を見れば底深い。顔を上げれば競い合い。振り返れば独りよがり。とかくに人の世は難しい。
難しさが高じると、易い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても難しいと悟った時、詩が生れて、blogが出来る。

夏目漱石「草枕」の冒頭の文を真似てみた。
青空文庫に収録されている「草枕」の冒頭文:
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

2008/10/02

わすれられないおくりもの - "Badger's Parting Gifts"

小学校3年生の国語の教科書にスーザン・バーレイの「わすれられないおくりもの」("Badger's Parting Gifts", Susan Varley)が載っている。授業の課題か何かで1号(♂8才)が「ぼくのわすれられないおくりもの」と題して作文をしたためた。
ぼくのわすれられないおくりものは、二つあります。一つは先生です。なぜならいつもいろんなことをおしえてくれるからです。
二つめは、たわだのおじさんです。
きょ年、亡くなってしまったけど亡くなる前は、はたけにつれてくれてヤゴとかオタマジャクシをとらせてもらいました。だから、今でも心にのこっています。
原文まま、「亡」が「死」と書いていたのは訂正した。

親や教師の指導は入っていないはず。漢字で書けとか、先生はおくりものとは違うだろうとか、おじさんの名前が間違っているとか、いろいろ突っ込みどころ満載なのだが、「わすれられないおくりもの」のこの世を去るアナグマ(a badger)とアナグマが友人隣人たちに残していった大切な何かを考えさせる物語と作文のおじさんの話は関連性があって、しかも最後の一文は泣かせる(馬鹿親...)。
元小学校教師の荒木茂さんのサイトには教科書の題材としての「わすれられないおくりもの」の詳しい解説がある。

「おじさん」は隣人で私達家族が3年前に現在の地に引っ越してきてた頃にはすでに仕事はリタイアしていたが、リタイア後に始めた畑仕事や家の手直し、草刈り機を使ったパワフルな雑草対策など精力的に働いていた。私達家族にもにもいろいろよくしてくれて、子どもたちにはそれこそ自分の孫のように接してくれた。1号が隣のおじさんのことを「ともだち」と呼んだのが大層うれしかったらしく近所の人にもよく話をしていた。
昨年の8月に数ヶ月の闘病生活の末逝ってしまい、やりきれない悲しみは私達家族にも残されたが、代わりにこのアナグマのようにをたくさんの思い出を残してくれた。
今でも隣のおじさんの「まだまだ君なんかには負けないよ」と言った声が笑顔とともに思い出される。
私のすてきな奥様は作文のコピーをとって、亡くなった隣のおじさんの奥さん:隣のおばさんにあげると言っていた。

この作文は今も隣のおじさんが思い出に生き続けていることの証である。

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