2008/11/29

ライフハック - 自分の向上に目を向けよう

画像はWikimedia Commonsから、Toni Frissellの"Weeki Wachee spring, Florida"。ものすごい透明度。

ライフハック第4弾。
自分の向上に目を向けよう
他人は自分の立ち位置を確認するためである。
優劣をつけてもいいが、それで感情を揺さぶられてはいけない。
嫉妬、妬み、愚痴の元。

2008/11/28

アンサイクロペディアへ寄付

これらの記事
が秀逸だったので、Wikipedia(Wikimedia財団)へ寄付に引き続き、アンサイクロペディア(Uncyclopedia)にも寄付してみた。

だって、ほら
※今すぐ寄付しないと、あなたの身内に不幸が降り掛かります※
と脅してくるじゃない。ガチャピンの取り立ても怖いし。

アンサイクロペディアへの寄付は簡単。カード番号から暗証番号から、利用者名から実名から、果ては寄付金額まですべて自動で入力されるので、簡単であったWikipediaへの寄付よりも更に簡単簡単。ダマされたと思って寄付してみるもんだし、寄付するべきだ。

画像はUncyclomedia Commonsから。説明は不要としたい。

# おお、今気づいたが、日本語版はURLがアンサイクロペディアのローマ字読みだ。芸が細かい…。

2008/11/27

不味いそば屋の楽しみ方

「ちゃーやが?」(どうだ?)

10年くらい前に先輩から聞いた話。
先輩の仲間内で流行った遊びで、いかに不味いそば屋(沖縄そば)を発見するか競い合ったらしい。
沖縄本島の方だが、石垣島で不味いそば屋を発見して仲間を誘った。二人で遠く石垣島までわざわざ行って、テーブルに向かい合い、出されたそばを自分は食べずに相手が一口すするのを見て、発した一言が冒頭の言葉。

「ちゃーやが?」(勝ち誇ったように)
「たしかに…」

先輩曰く、美味しいそば屋は繁盛するし、つぶれることはない、いつでも行ける。しかし、不味いそば屋はすぐつぶれるし、なかなか見つけるのは難しいので大変な遊びだと。

ここ数年沖縄のそば業界は店の数も増え、味のバラエティも店構えも多種多様であり、個人的にはうれしい。
味もまぁまぁの店がたくさんある一方、不味いそば屋を見つけるのは確かに至難の業である。

画像はWikimedia Commonsから「高江洲そば」の沖縄そば(ゆし豆腐そば:ここのそばはおいしい)。

2008/11/25

3号は進化の途中

3号(♀0才)のお風呂上がりにタオルで体を拭く係を受け持っている。
体を拭き、おむつを着けてあげようとすると、何か他に面白いことでも見つけたのか、体をよじって逃れようとする。
そこで顔にタオルを掛けてみた。
「野生動物かっ!」
と思うほどぴたっと動きが止まった。
最近では、徐々に進化しているようでタオルをはねのける技を覚えつつある。
残念である。

火を見ると怯えるかどうか試すべきかも知れない。

2008/11/19

Wikipedia(Wikimedia財団)へ寄付

blogの画像引用でお世話になっているので、昨年に引き続きWikipedia(Wikimedia財団)へ寄付してみた。ほんの少額、札1枚。日本円で金額を指定したので、円高ドル安の今ならほんのちょっとだけ多く寄付されることになる。

ちなみにPayPal経由であるが、KidPixの購入時にPayPalのアカウントを作成していたので簡単簡単。

寄付の手続きが完了すると最終画面で、「ウィキペディアへのご支援をありがとうございます。」のメッセージとともに、寄付依頼ボタンのコードが公開されるので貼り付けてみる。3種類あるうちの大きいボタンを採用。

Wikipedia Affiliate Button

寄付に関しては「isologue - by 磯崎哲也事務所」さんの記事、Wikimedia財団への寄付の税務について考えてみたがおもしろい。

試しに、Wikimedia財団の寄付者のページを見ると、Sustaining donors ($1000 to $4999)の欄に磯崎さんと思わしきお名前
"Tetsuya Isozaki (November 2008)"
を発見。さすがに$1000以上は少ないようで、目立つ目立つ。
あと日本人と思われる方は
"Koyama Ryusuke (November 2008)"
"Joichi Ito (November 2008)"
"Motohisa Oono (November 2008)"
でしょうか。

2008/11/17

トイレにおける選択基準の観察

画像はWikimedia Commonsから。

職場のトイレにおける同僚連中(社長含む)の行動を観察しているとなかなかおもしろい。
1. 空いている三つある小便器のうちどれを選ぶか:
  • 入り口に近い方 (近いから。後で他の人が来たらどうするとかどうでもいい)
  • 真ん中 (中央にいるべきはオレだ。すべてを支配したい。次の人が隣に来ることも厭わない。そこまで考えない)
  • 入り口から遠い方 (他人との接近をあらかじめ回避。トイレ内の奥まで行くことでパトロール気分)
( )内に推測を書いてみた。
真ん中に立つ人はあまりいない。
続いて、小便器に立ったときどのような姿勢を取るかについての観察結果から。
2. ズボンの扱い:
  • チャックだけをおろす (技術偏重派。パンツの前面開口部での処理スキルを保有)
  • ベルトを外し、ズボンもやや下げる (オープンエア派あるいは幼児期からの脱皮中)
  • 小便器では絶対やらない (個室派。何故?)
3. 足幅の問題:
  • 足を肩幅より大きく広げる (取れる陣地は最大限確保)
  • 足は肩幅で自然体 (オレの背後に立つ奴は…)
  • 足を肩幅より小さく広げる (自意識過剰または自己評価過小)
4. 小便器との距離:
  • 小便器に密着する (見るなよ。または「もう一歩前へお進みください」お願いシール推進派)
  • 小便器とつかず離れず (液体放出の角度から計算するとはね返りの被害を最小限に留めるには…)
  • 小便器と距離を置く (見られても減る物でもないし、もうどうでもええ、好きにしろ)
各人にアンケートを取るべきだろうか。

そのほかには
  • 大用の個室でトイレットペーパーを交換しなければならなくなったとき、古い芯と新しい包装紙の扱い方
  • 所用が住んだ後の手の洗い方(あるいは洗わずに済ませる方法)
についても考察はあるのだが、ちょうどトイレへ行く時間がきたようだ。

2008/11/16

去る人々 (余談)

画像はWikimedia Commonsから、スロヴェキアの屋根付き橋。

去る人々 (1/2)の余談。

友人Sのことを書いていると、ものは試しにとその女の子の名前を検索に掛けてみた。
おお、名前が出るではないか。
素直にインターネットってすばらしいと思った。
絵本の著作が何冊かあるようだ。もう沖縄を離れているらしいが、沖縄の影響をすごく受けているようだ。
Sの死を知っているのだろうか。

2008/11/15

去る人々 (2/2)

画像はWikipedia Commonsから明石海峡大橋頂上。

去る人々 (1/2)からの続き。

2007年10月。
そして、伯母のM(父の姉)。

伯母さんはいつも風のように実家に現れて、アメリカのお菓子などのおみやげを置いていくとちょっとおしゃべりして数分で帰って行く。私の両親に初孫(つまり姪っ子)ができたときに実家に上がり30分くらい滞在したのが記録ではないか。詳しいことはよく分からない人だった。
私と弟がまだ子どもの頃に入学などの記念の時には時計や万年筆など贈ってくれた。私と弟の成長を言葉だけでなくちょっと気の利いたプレゼントで表現してくれた数少ない人だった。
病気になるまで知らなかったが、商売をやっていたはずで(見たことはない)、世間とのつながりがどういうものであったか分からない。

一緒に生活していた男性(内縁の夫?)の看病がたたり、2007年4月から自分も入院。煙草が原因と思われる呼吸器系の病気を患った。入院からは私の父母だけではなく、私の家族、弟家族を巻き込みながら、退院先の手配、生活費支給の問題に右往左往の日々が続く。
伯母が入院してまもなくの5月にその男性は亡くなり、本人に父母のどちらかが正直に告げると納得はしていたようだ。その代わり、住んでいた家はその男性のものなので、男性の兄弟から追い出されることになる。
体力が徐々に回復し病院側から退院を迫られるも、生きるための新たな条件となった酸素ボンベ携行が災いして、住むべき部屋も見つからない。
しばらくすると、今まで住んでいたところからもほど近い所に老人養護施設が開設するとの情報が舞い込んでくる。それまで退院を引き延ばしてもらった。7月1日に退院しその足で施設へ入所する。その施設はある程度自力で生活ができる人を前提としてあり、第1号入居者として1階の一番奥の個室で海が一望できる一番いい部屋を割り当てられた。
その後は子どもたちを連れて時々訪問には行ったが、会うといつもうれしそうであった。子どもたちはいつも何かしらもらって帰って行った。ただ酸素ボンベを持ち歩かないとどこにも行けないのが大変だとは言っていた。

10月末の土曜日の早朝、弟から亡くなったとの知らせ。前兆は何もなかった。
その日の約束をすべてキャンセルし、病院の霊安室に駆けつける。安らかに眠ったような伯母さんがいた。悲しい気持ちに嘘はないのだが不思議と涙は出ない。親戚として完璧ではないけれどやれることはやった気がしたからだと思う(全身全霊にはほど遠いが)。優しい顔であったのが何よりも救いだ。
病院ではなく施設で亡くなったので、事件性の有無を調べるため、施設の方と私と弟は待合室で簡単な事情聴取。イヤな感じは せず大変な仕事だと私服の警察官を眺める。施設の方は担当の若い女性とそのリーダー役と思わしき男性。女性は涙で目が赤かった。泣いてくれる人がいると思った。
警察によると、一旦警察署へ運び死体の検案をするとのこと。搬送は葬儀会社が行った。この時点で葬儀会社は決定していないが、結局そこを使うことになった。
一旦家に帰り、喪服一式を用意し、実家へ向かう。その後父と施設へ伺い、荷物の整理を行う準備をする。写真を使うことになるので写真はすべて持ち帰ることにした。ちなみに「検案」という言葉をこの時初めて知った。
そのうち警察から電話があり、検案の時刻を教えてもらう。また、慣習として医師に2万円を謝礼として渡していることも教えてもらう。
その日の午後の指定された警察署、指定された時刻に父親と行く。医師の検案の結果、心不全。直接的な原因が不明の場合によく使われるらしい。事件性はないとのことで解剖は行われなかった。そのまま死体検案書を作成してもらう。施設へも事件性はない旨を連絡する。

離れて暮らしていた伯母さんの二人の娘が(と言ってもちょっとかなり年上)駆けつけ、一緒に葬儀の手配を行う。極力お金はかけず、新聞への公告も行わないことになった。
ちなみに沖縄では死亡するとでかでかと新聞に公告することが一般的だ。亡くなった方の家族親戚友人等の関係があからさまになる反面、子どもや子育て真っ盛りの親御さんの死も知ることになり、現在自分の置かれている状況が奇跡に近いことを実感することもある。
伯母さんの体は、一旦葬儀場で安置することになった。
伯母さんは二人の娘に大変な苦労をかけてきたので、二人の娘の普段の伯母さんに対する対応はドライだったはずだ。
二人を連れて葬儀場の安置所へ向かい、伯母さんの顔を見ることになった。伯母さんの顔を見ても取り乱すことはなかったが心中穏やかでない様子が伺われた。ただ、安らかな顔を覗き込んでほっとしたようだった。
帰り際、安置された部屋に虫(蛾だったかな)が迷い込んできて、これは伯母さんが様子を見に来たかもしれないねと話し合った。

翌日の告別式には公告を行ってないにも関わらず、施設の方、伯母さんの元で働いていた女性が数名訪れた。伯母さんの娘二人の家族や父母、弟一家、私の家族もいっしょだ。施設の女性はやはり泣いていた。伯母さんは施設の第1号入居者にして第1号の退所者となった。伯母さんの仕事仲間は「ママさんにとても世話になった」と言って泣きはらしていた。娘達に苦労をかけた分、彼女たちに優しく接していたのかもしれない。
火葬を行い、骨片と灰になった伯母さんを安置するお墓もないので、娘のうちの一人の家近くのお寺でしばらく預かることになった。

伯母さんはちょっとみんなをかき回した後あっという間に逝ってしまった。不謹慎かもしれないが、なかなか潔い引き際だな、と思った。
死ぬ間際になって、関わった私達みんなにちょうど乗り越えられるような試練を与えてくれたような気がする。

2008/11/14

去る人々 (1/2)

画像はWikipedia Commonsからスイスのラヴェルテッツォ(Lavertezzo)にある渓流にかかる石橋「ポンテ・デイ・サルティ」(Ponte dei Salti)。

わすれられないおくりもの - "Badger's Parting Gifts"にも書いた隣人のおじさん以外に昨年は身近の人が少なからず亡くなった。数えてみると隣人のおじさんを含めて4人。すべて1周忌が終わった。
年をとるにつれ死による別れは増えていくのが当たり前ではあるが、後々年月まで覚えてられる自信がないので記憶に留めるため記録することにする。
個人的には少し重い話となる。

2007年5月。
小学4年の時転校してきて、そのとたん入院してしまい、クラスの有志でお見舞いに行ったS。結局、小中高と一緒だった。
実は初恋の人も一緒だったと思う。小4の時だ。初恋というか初めてその存在が気になるようになった異性というか。Sの主導で一緒に自転車に乗ってその子の家を探索に行ったりした。
自死。
私よりもっと近くにいた友人達はいろいろ仕事の世話をしたり、彼の人生に関わってきたし、かなりの無念さが伝わってきた。私としては彼の行為を肯定も否定も出来ない。そう決意し実行するまでは相当苦しかったのだろう。重くのしかかる考えは堂々巡り、出口のない迷路のようでいて、また、同じ場所に戻ってしまう。一番自分が苦しいと感じていたはずだ。
ただ、残されたご両親の悲しみを考えると子を持つ親としてはやりきれない。遺書も無かったと聞く。ご両親は理由を知りたがっていた。永遠に答えが見つからない疑問を抱えてご両親はそれでも生きていかなければならない。母の日の直前で机には彼の母親用にか母の日のイベントの招待券が並べてあったということだ。
告別式の帰り、友人達とちょっとした飲み屋に集まった。ワイン好きの友人がいたので赤ワインを頼み、ワイングラスを人数分に一つ加えて、彼への弔いにした。涙を流す者はいない。黙っているとむなしさと無念さが広がっていくの感じる。それを押しとどめるため、現実世界の話題を交わし続けた。他のみんなも同じ気持ちだったのではないか。表面とは裏腹に心の中では夜が更けるのを静かに待っていた。
Sの話には余談がある。

2007年5月。
いとこの実父Y。そのいとこにも長いこと会っていないし、いとこの実母(私の母親の妹、つまり叔母さん)はとうに離婚しその後再婚してそっちのつきあいは長く今もちょくちょく会う。
上の同級Sの死を知った私の母親がしばらくしてそっと教えてくれたのだが、設計士の事業がうまくいかなくて自殺したようだ。
小学生の時は親戚間のつきあいがとてもよく、そのいとこ同士で10人くらいは親に連れられて毎週のように会って遊んでいた。そのせいか、Yには長いこと会っていなかったにもかかわらず不思議と今でも顔を思い出せる。
ただ、建築業界も厳しいという認識が刻み込まれたし残念だという気持ちはあるが不思議と悲しくはない。たぶん、既に思い出の中の人だからだ、と思う。

2007年8月。
隣人のおじさん。先のポストに書いた。

2007年10月。
そして、伯母のM(父の姉)。
書いていたら長くなったので別ポストとする。

2008/11/13

奇妙な縦線問題

3,4日前から記事の左右に縦線が入るようになった。特に右側は太くて記事に重畳。オリジナルのテンプレート幅(485px)の位置が基準になっているようだ。
境界の線のように見えるが…。
なんじゃらほい?

追記(ポストから15分後)
自己解決。
テンプレートの編集画面でメインの角を丸くしているgifファイルにつながる左右の縁取りgifファイルをコメントアウトした。
#main {
background:url("http://www.blogblog.com/rounders3/rails_main.gif") repeat-y $startSide;
/* background: $startSide; */

#main {
/* background:url("http://www.blogblog.com/rounders3/rails_main.gif") repeat-y $startSide; */
background: $startSide;
いつ間違ったのか?
ちなみにテンプレートは"Rounders 3"に少々手を加えてる。

2008/11/06

エコな話題

画像はWikimedia Commonsから、過剰包装の一例。

お買い物にはマイバッグを持参するようになって久しいが、精算前に商品をマイバッグに詰め込むのはいかがなものかと思う。この行為を通常は万引きという。

小中学生が自転車を改造してチョッパーハンドル、背もたれをつけて暴走族仕立てにしているのを見かけた。よく考えてみると、騒音はないし、空気は汚れないし、肉体も鍛えられ、自転車整備の技能向上にもつながり、あまつさえ彼らの心の鬱憤も晴らすことができる。これ以上彼らに何を求める必要があるというのか。

CO2削減が求められている。いっそのことCO2をこの世から抹殺すると、アルファベットは24文字になり、一般算術は九進法の世界へ移行する。小指のない方を多く要する業界へのまなざしが恐怖から尊敬へと変わるのも時間の問題である。

魂のリサイクルのことを輪廻転生(Samsara + Reincarnation)という。リサイクル前に分別処理が行われているかどうかは不明である。また、地球誕生から数えるとある時点における魂の総数は増え続けていると考えるのが自然である。よって、どこか人間の知らないところで魂の生産工場または農場があると容易に推測できる。

水は有限であり、かつ、人間の生命維持活動にとって必須であることから貴重で最も重要な資源のうちの一つである。水が地球内で循環している限りは問題ないが、宇宙へ流出すると取り返しのつかないことになる。そのため、宇宙飛行士の尿は地球に持ち帰ることが宇宙法により義務づけられている、という噂を流布してはならない。

2008/11/02

解決 faviconが表示されない

暫定的に解決。
取り急ぎこちらを参照のこと。
BlogU: Fix for Broken Favicons

方法は別途追記する予定。

関連:
2008/10/24 faviconが表示されない
2008/10/30 続 faviconが表示されない


追記(2008/11/05)
その方法は次の通り。

1. 「レイアウト」~「HTMLの編集」へ移動する
2. faviconを表示させるためのHTML文をコピーする
<link href='http://d.hatena.ne.jp/images/diary/u/uyabin/favicon.ico' rel='shortcut icon'/>
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3. 次の行を見つける(かなり下の方)
]]></b:skin>

</head>
4. 2.でコピーしたHTML文をペーストする
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</head>
5. 「テンプレートを保存」ボタンを押下する

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