2015/02/20

「認知症になった私が伝えたいこと」佐藤雅彦著

すわっ、ピタゴラスイッチの先生か! と思ったら同姓同名の別人でした。
私の実家の母親が昨年末にアルツハイマー型と血管性の混合型認知症と診断され、想像の域を出なかったこの病が突然身近になったところに、新聞に書評が掲載されているのを見て思わず購入に至った。

著者が認知症を発症してからの出来事、できなくなっていること、できること、感じていることなどなど、読み進めるうちに認知症に対する世間一般の認識と実際とのズレが、どんどん明らかになっていく。
これまで語られることがほとんどなかった認知症本人が認知症について語る、エポックメイキングな本である。

著者の書きぶりはどちらかというと誠実かつ飄々としているので感じにくいが、40代でアルツハイマー型認知症と診断され、仕事がだんだんとできなくなった頃は、本人もわけが分からず、将来の展望が見えなくなり、周囲の無理解からくる辛辣な言葉や態度はあったはずで、生き地獄だったんだろうなと思う。
しかし、彼は、一人暮らしを続けるために、このどん底から前向きに人生を切り開いていく。

著者の発症後の生活は非常に大変で現在も大変さが進行中だと思うが、発症後に新しい人生が花開いたようにさえ思えるバイタリティ、積極さ、工夫の数々に感心させられた。
もっとも、本人は大学の数学科を出てエンジニアとして活躍したのであり、携帯やタブレットなどの現代のテクノロジーを日常生活に利用しているのは、他の認知症の方々に比べ、技術的な親和性においてアドバンテージがあるのかもしれない。しかし、これからの時代の先駆けとも言える。

この本を読んでの認知症に対する私の印象は、脳内のメモリ不足が招く、短期記憶、空間認知能力の低下であり、しかし、考える力はある。ただ、キャッシュ、レジスタなどの一時的な記憶領域が不足するので考える力にも影響が出る、というもの。
それ以外は普通の人間である。
我々の社会を構成している一員にそういう人たちがいることを認知症に関わる関わらずに関係なく理解してほしい、と著者は優しくも力強く訴えている。
例えば、認知症の人に対して「徘徊(はいかい)」という言葉を使わないで欲しい、同じ地域の、社会の一員なのだから、と著者は呼びかけている。

文章は平易であり、あっという間に読み切ることができる。
しかし、読後には認知症に対する見方がころっと変わる。
そして同時に自分の偏見に気づく。

著者の期待に応えるなら社会を構成している人ならば読んでほしいが、少なくとも認知症に関わる人は誰しもが読むべき本だろうと思う。


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