2016/10/31

電子レンジ交換 (EMO-1000S → RG-GS1-W "ZITANG")


長年使ってきたサンヨーのオーブンレンジ EMO-1000S のレンジ機能が壊れたっぽい。
レンジを使ってもいつまでたっても庫内の温度が、ほぼ室温に近い33℃のままだ。
3号(♀12才)が、早くなんとかしろとばかりに、メッセージボードに書いてくれたのが1枚目の画像。単位が ℃ になっていないので指摘はしといたけど。
EMO-1000Sの購入は2006年頃で、シンプルなデザイン、温度や時間の設定が簡単にできる操作性で、かなりお気に入りだったのだ。
しかし、10年近く立ってるし、部品保有は8年だし、自分では手を出したくない高電圧箇所のある電子レンジだし、サンヨーはパナソニックに吸収されてるし、で、直せるものは直して使うというポリシーに反して、買い換えることにした。
10年も使ってたのか。
新規購入は三菱電機のRG-GS1-W "ZITANG"。
オーブンレンジの庫内は小さいほうが合理的、という設計思想に共感した。
プレートを2段設置することって今まで何回あった? 小さいほうがすぐ温まるよ、予熱なしよ、料理毎のワンタッチボタンなんかないよ、などなど。
電気店に置いていないので、ネットの評価で判断するしかなかったが他に比べようのない製品なので思い切ってポチった。

EMO-1000Sとサイズを比較してみよう。
  • EMS-1000S:幅502×奥行460×高さ345mm (70L)、庫内30L
  • ZITANG:幅518×奥行412×高さ266mm (56L)、庫内13L
幅は若干広いが奥行き高さとも小さくなっている。特に高さが抑えられて、別売りのトッププレートを設置すると画像のように物が置ける。
我が家ではとても有効。

私の素敵な奥様の評によると「グリルを使った後でも、すぐにレンジなどが使えるのがいい!」「静かになった!」「あたため温度が設定できる!」という。
奥様はもう何度も使っているが、私は今回始めてスパニッシュオムレツに挑戦。
下ごしらえさえすれば「レンジ→グリル」の自動調理で、ここまで出来る。
鶏の唐揚げも同じく「レンジ→グリル」の自動調理で簡単に美味しく出来た。
トーストは置き場所によって焦げの付き方が違うようで慣れが必要。
今のところ少々高かったこと以外は、購入して正解。

サイズを小さくして合理的に行くぞというこの製品にGOサインを出した思い切りと、見た目の大きさでライバルたちとの比較されるのを避け、価格も高めを維持し、販売開始は2011年でその後大きな変更もなく開発費を抑制し、量販店に置かないのでたくさんは売れないけど、ネットの口コミでそこそこ売って利益を出す、といいう販売戦略(推測)にも感心する。

2016/10/29

泉崎ロータリーのホンダ "Ape"(エイプ)

もう半年以上前から、通勤途上の泉崎ロータリーにホンダのApeが放置されている。
ナンバープレートもしっかり付いていて、持ち主の特定は容易そうなのだが。
盗まれて放置されたのかもしれない。

ところが、台風201618号の後は、テールがスライドしただけで倒れていなかったので、不思議に思っていたら、よく見ると前輪は手すりとの間でロックされている状態だった。
盗まれたのではなくここに駐車して、意図的か不可避かは分からないが、持ち主はもう取りに戻ってこないのだな。


10月8日付で、管轄の国道事務所から「警告」の張り紙がしてあった。
しかるべき期間を経て、持ち主不明で撤去されるのだろう。

2016/10/27

正子・ロビンズ・サマーズ絵画展

正子・ロビンズ・サマーズ (Masako Shinjo Summers Robbins)の絵画展「辻、OKINAWA そして アメリカ」を帰宅の途中で大慌てで見入った。
沖縄タイムスビルのタイムスホールで、10月31日(月)まで。

3才で辻(沖縄の遊郭)に売られ、小学校も3年までしか行かず、沖縄戦では日本軍司令部と行動を共にし、戦争を生き延び、戦後すぐに辻での借金を支払い自由の身となり、米軍人と戦後第1号となる結婚をし、夫についてアメリカに渡り、2人の養子をもらい、離婚し、絵画に目覚め、絵で生計を立て、画廊を経営し、再婚し、アリゾナの短大で絵画を教え、孫に恵まれ、沖縄での絵画展の直前に亡くなった。
彼女の人生を綴った記事はこちら(沖縄タイムス)。

ここにはもう少し詳細な物語、自伝が書いてある。ただし、結婚前の借金を支払い自由になるまで。
My Story: A Daughter Recalls the Battle of Okinawa わたしがたり ある娘の沖縄戦
これによると、彼女が売られたのは、父親が足が悪く仕事もできず、弟が病気を患っており、極度に貧しかったためだったと、後に知ったそうだ。

追悼サイトもある。
In Memory of Masako S. Robbins

肝心の絵は、油絵もあったが、水彩画でも油絵のようなタッチでどちらかと言うと寂寥感を掻き立てるものが多く、生まれ故郷である沖縄の伊江島が見える海岸を描いた絵もあったがこの絵も寂しさ感じさせるものであった。
(売るためだったとも書いてあったが、そうではないのではないか)

運命に翻弄されながらも生き抜いた強い人だったのだな。

2016/10/14

屋我地ビーチで二泊三日のキャンプ

屋我地島(やがぢじま)に二泊三日でキャンプに行ってきた。
遠浅の穏やかな海に砂浜、芝生のキャンプ地という子供連れにはうってつけ。
私の素敵な奥様が5ヶ月前には予約を入れるという念の入りよう。

沖に見える岩までは歩いていけるほどの遠浅の海。

車は20台ほどあったか。
外国人も居て、米軍基地の家族、外国からの移住者らしき人々(車や同伴者や風貌で分かる)に加えて、観光客らしい外国人もいたのにはビックリ。
トイレで先客が眼鏡を忘れていたので思わず「あ、眼鏡!」と叫ぶと、気づいた彼が「Sorry!」という応えが返ってきたから東アジア系外国人だなと分かった次第。
確かにあるテントの隣に駐車していた車に「外国の方が運転しています」ステッカーが貼られたレンタカーを確認できた。
外国までキャンプに出かける行動力と準備力が凄いな。
いい思い出になるといいね。

カニがいます。見えるかな。


沖縄のビーチにしては珍しく、サンゴや貝殻由来の砂に混じって画像のよう奇妙な形をした石を多く見つけた。
対岸の沖縄本島の川から流れ出されたものと推測するが、どうだろう。
最後の画像は2日目朝の海。

残念ながら最終日の未明から風が強くなり、タープが倒されたり、雨も降ったりで朝食も取らずに慌てて撤収、7時半には退散することにして、帰途モスバーガーで朝食を取って自宅には10時には着いた。
今回、テント設営や撤収、あまつさえ暗い中タープ崩壊の末の撤収まで奥様が大活躍してくれた(私は寝てた)。奥様には私的資格「テント設営士2級」を贈呈したい(1級は100張り以上の経験が必要)。

2016/10/07

太陽光発電実績 (4年経過)

太陽光発電を導入して4年が経過した。
4年間の総額を見てみよう。
沖縄電力の購入単価は27円/kWh、太陽光発電の売電額は42円/kWhとした。
購入みなし額(27円/kWh)
実購入額
(27円/kWh)
売電額
(42円/kWh)
自家消費額
(27円/kWh)
収入
(購入みなし額+売電額+自家消費額)
収支
(収入-実購入額)
-697,146
-518,065
330,032円
179,081円
1,206,258
688,194

「購入みなし額」は、我が家の電力消費量に対して、太陽光発電がなかった場合を想定して 消費量(kWh) x 27(円/kWh) で算定した。マイナス表記とした。
「実購入額」は、実際の請求書ベースではなく、買電量(kWh)に27円/kWhを乗じて算定した。マイナス表記とした。
「売電額」は、実際の収入ベースではなく、売電量(kWh)に42円/kWhを乗じて算定した。
「自家消費額」は、自家消費量(kWh)に、27円/kWhを乗じて算定した。

4年間トータルの収支は68万8千円 (初期投資含まず)。
150万円の設備投資なので、11.8年での回収が見込まれる。
これは昨年より0.6年改善しているが、回収見込みはこの4年間で11年から12年の間で落ち着いている(導入計画時は10年だったけどね)。

ついでに、購入額、売電額、自家消費額のグラフも載せる。
グラフ右下、購入額のグラフが例年より下へ伸びている(=沖縄電力から電力を買っている)。
今年は、実験的にエアコンの稼働率を上げてみたら、やはり費用も増加した。
原因は、省エネに向かない吹き抜けのある家の作りと一番大きなエアコンが10年前の製品の性能にあると思っているが、エアコンくらいは改善の余地はあるので、そのうち更新することになるでしょう。
夏場のエアコンは、安全、快適さを確保するための必要経費としてしばらくは続けるつもり。

2016/10/05

「戦争は女の顔をしていない」スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、三浦みどり訳

英語題は、"WAR'S UNWOMANLY FACE" で直訳すると「戦争の女らしくない顔」
戦争には男の側の顔と女の側の顔があるけれど、女の側でない側面を、独ソ戦に参戦した女性兵士への多数のインタビューにより明らかにしていくというもの。
原題(ロシア語)は"У ВОЙНЫ НЕ ЖЕНСКОЕ ЛИЦО" らしいのだが、英語に訳すると "War Does Not Have a Woman's Face" と 「戦争の女性の顔はしていない」と日本語題と一緒。英語訳のときにタイトルを変更したんだな。英語題が意味深で良いように思う。

多数のインタビューににより、決して一括りにできない個々の人生にもかかわらず、ある共通項「悲劇」を浮かび上がらせているようである。インタビューではひとりひとりの人生がひとりひとりの言葉で反芻されており、飽きずに最後まで読み通してしまった。

ドイツとの開戦の報を聞いた女性、しかも10代を中心とした彼女たちは、ソ連の危機に際し、自ら志願して、あるいは、潜り込んでででも前線に行きついてしまう。志願してきた若き女性たちを前に男性兵士や幹部は一様に困ってしまっている。
中にはとても優秀な狙撃兵やパイロットもいるのですよ。
当初、なぜ女性が前線に? と合点が行かなかったのだが、ソ連体制のなか、男女平等が徹底されていたことがその最大の要因らしいとあとで知る。
つまり、教育である。
教育について触れているのは一人くらいで、そこはインタビューされた女性たちの反省の材料ではなかったらしい。
教育って受けてみるまでは無知なので評価ができず、三つ子の魂百までなのがつらいところ。

著者は2015年にノーベル文学賞受賞。
訳者はその報を待たずに他界している。
これだけのインタビューを行うだけでも大変、それを文章に起こすだけでも大変、まとめるのはなお大変、出版するのはもっと大変だったらしく、著者も訳者も執念で出版にこぎつけたことが訳者あとがきから伺える。

ともあれ、オススメです。

2016/10/03

「思いつきとやっつけ」あらため「燃え尽きと何だっけ?」

仕事が忙しく、このblogにまで頭と手が回らない状態が続いていたので、更新が滞っている。Twitterは別腹です。

今日は台風18号のお陰で早々と帰宅できたので、ブログ記事でも書こうとしていたら、それを見かけた2号(♀12才)から、「ブログのタイトル、もえつきとなんだっけ?」と問われたのだけど、新たなタイトルだな、これは。

仕事で燃え尽きそうであるし、近年の老化特に記憶力の低下が半端ではなく、言い得て妙であるので2号案を採用することとする。
否、しないぞ。

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